E&Y代表 松澤剛 さんへの質問(1/2)
今週金曜より展示させていただくedition HORIZONTALについて、E&Y代表 松澤剛さんに二回にわたりインタビューさせていただきました。
前半はコレクション自体の持つ意味について、
後半は11作品個々の背景と、ロンドン・東京での展示について伺います。

cite’ : まず、ファニチャーレーベルとして、なぜ家具でもプロダクトでもない「edition HORIOZNTAL」のようなコレクションを作ろうと思い立ったのですか?
松澤:レーベルとしては、デザイナーの要素を抽出して家具としてプロダクトアウトするということを30年前からやってきました。
僕が代表を引き継いだのが2007年。それから少し経って、消化のされ方というか、消費のされ方のようなものに疑問を持ち始めたのがきっかけです。
商品をプロダクトアウトした瞬間に、深く作業していたことが一瞬にして意味を持たなくなり、奥行きが何もない単純に物になってしまうことに対する違和感がありました。
そこから、デザイナーやレーベルの存在意義とか、社会に接続する深度と、自分の考えにズレが生じ出したんです。
そんな中、どこまで自分たちの思考の深みが伝わったり意味を持つんだろうかと思って、2007年にこのシリーズの構想を始めました。
cite’ : リリース時から一貫している「機能を前提としない」という言葉は、家具という具体的な形を持ったものではなくて、素のまま状態で物や思考を投げかけたかったということですか?
松澤:例えば、4本足の椅子の一本の足が折れた時に、椅子は椅子としての機能がなくなるわけですが、その瞬間に、物として買っている人と、機能で買っている人とに分かれます。
後者は、機能に対してお金が払われるわけですから、機能が欠落した瞬間に捨てられます。その人の生活の上で意味をなさなくなりますから。
でも物として捉える人は、足が一本折れようと、用途が変換させていくのではないかと思って。
例えば壊れたスピーカーを、何かの台や、腰掛けとして使ったり。
そういった考えから、そもそも機能を前提にしない、「物」の部分を前に出してみたいというところからスタートしました。
それは、ファニチャーやプロダクトのレーベルとしての、自分たちへの問いかけでもあります。

cite’ : はじめてHORIZONTALのコレクションを見た時、アートの要素を端々に感じて、それが工芸やデザインという分野と混ざり合い、プロダクトに近いものとして産み落とされるのが面白いなあと感じました。
鑑賞のためだけでなく、使われることで身体とか思考への直接的な関わりがありますよね。
物としての経年変化という意味でもそうですが、すでに持っている物とのバランスという意味でも、どのような使われ方をするのかが興味深いです。
木の枝を一本拾ってきて、何通りもの使い道に頭を凝らすような、人が本来持っている創造性に、プロダクトとしてアプローチしているのかとも思うのですが。
松澤:プロダクトの素晴らしさは、地球の裏側で100なり1000なりのものが人の手に届く可能性がある、ということもあると思います。
ただ、普通プロダクトっていうのは、値段や生産性、マテリアルや仕上げの条件をどんどん突きつけられて、製品化にしたがって純度が落ちていきます。
HORIZONTALの場合、純度が高い部分が初めの出どころなので、生産上の制限の中でそこが崩れないものだけが、かろうじて製品化されます。
cite’ : 技術的に難しそうなものも多いですし、実現しなかったものも多そうですね。
何もないところから始めるのは困難だと思うのですが、初めの部分で、どのようにデザイナーに企画を投げかけるのですか?
松澤:意図の部分を、まずは抽象的な言葉として投げかけます。
作家とのやりとりにかかる時間もバラバラで、数年かかる場合もあれば、すぐに見えてくる場合もあります。
今まで30人くらいのデザイナーと進めて、残った作品がこの11作品です。
cite’ : 国内外のデザイナーで何か違いはありますか?
松澤:海外のデザイナーほど実現しない確率が高かったですね。
デザイナーとしての職能やアーティストとデザイナーの境界線がはっきりしているからかも知れません。アートとデザイン、双方を正しく理解してもらえるからこそ、境界が生まれるのではないかと思って。
今回のFay Toogoodのようにアートベースのデザイナーは瞬間的に理解しましたし、Max Lambは初めから微妙な言葉や意味を理解してくれましたが。
cite’ : 逆にアーティストの方も参加されてますよね。
松澤:アーティストは意図を理解してくれますが、逆にプロダクトに落とすことを初めは怖がる方もいますね。
cite’ : 依頼する作家の基準は?
松澤:血が濃い人かなあ。繊細でありながら凶暴な部分を持つデザイナーに魅かれます。
デザインの方法とか手法というのを理解し、その上で凶暴さを出せるというのは稀有な事だと思うんです。
両極端なものが同居する魅力や、余分なものをそぎ落として無になった状態(作家が自分の核に向き合った状態)の潔さに、美しさを感じます。
デザインということはさておき、究極的には人間の資質そのものに興味があるのかもしれないですね。
cite' : 繊細さと凶暴さというのは、知性と野生が同居したものへの興味、という自分の興味に近いものを感じます。人と動物、都市と自然、物質的なものと精神的なものなど、、、
デザイン、建築、アート、工芸、衣服、食、すべての分野において、知性を持ちながら自然へと近づくような人や、その近づき方に興味があるのですが、自然ということを考えると、HORIZONTALの中にもそれが含まれているような気がしてなりません。
そうした部分が社会へとつながることなどは考えますか?
松澤:社会って大きすぎて、それに対してこんな感じですいませんっていう低姿勢な部分と、同時に、こういった感覚が理解されなければアウトではないかという両面があります。
作家の深層を掘り起こして行って、人間の中の自然の部分に近づくというか、それが垣間見えた時にまんざらでもないと思えるんです。排泄物を人前で晒すという行為が、究極的には一番美しいのかもしれないなと。
アジャスト能力の高い優秀なデザイナーとはクライアントワークをしたらいいと思うのですが、ホリゾンタルに関しては、そういうデザイナーとしての優秀さとは別のベクトルで動いていると思います。

cite’ : ちなみに、ジャンルとしてはどのように考えていますか?
松澤:ジャンルを問わず、毛色もキャラクターも違う作家の中にある共通の何か、職業としての縦割りというよりも、それが横につながっていくことに意味があります。思考は横につながっていくと無限だけど、縦だと断ち切られる可能性がありますから。
コレクションとしては、アートでもデザインでもなくて、マルチプル。
アートとデザインの間ということではなくて、両方だと思う。
どちらに属しても成立すると思うものを作っているつもりです。
cite’ : デザインの文脈からマルチプルというところへのアプローチはよくあることなのでしょうか?
松澤:日本でも海外でもあまり見かけないような気がします。
その意味では、コレクション自体が自分の作品であるとも思っています。
cite’ : ありがとうございます。次は11点の作品について、その背景聞かせてください。
